古事記 青空文庫で読む 中の巻vol.1 神武天皇【初代天皇】(頭の整理用)

以下参考

https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/card51732.html

●東征

カムヤマトイハレ彦の命(神武天皇)、兄君のイツセの命とお二方、
筑紫の高千穗の宮においでになつて御相談なさいますには、
「何處の地におつたならば天下を泰平にすることができるであろうか。
やはりもつと東に行こうと思う」と仰せられて、
日向の國からお出になつて九州の北方においでになりました。

そこで豐後ぶんごのウサにおいでになりました時に、
その國の人のウサツ彦・ウサツ姫という二人が足一つ騰あがりの宮を作つて、御馳走を致しました。

其處からお遷りになつて、
筑前の岡田の宮に一年おいでになり、
また其處からお上りになつて安藝のタケリの宮に七年おいでになりました。
またその國からお遷りになつて、備後びんごの高島の宮に八年おいでになりました。

●速吸はやすいの門と

龜の甲こうに乘つて釣をしながら勢いよく身體からだを振ふつて來る人に
速吸はやすいの海峽かいきようで遇いました。

「お仕え致しましよう」と申しました。
そこで棹さおをさし渡して御船に引き入れて、
サヲネツ彦という名を下さいました。

●イツセの命みこと
難波なにわの灣わんを經て河内の白肩の津に船をお泊とめになりました。

この時に、大和の國のトミに住んでいるナガスネ彦が軍を起して待ち向つて戰いましたから、
御船に入れてある楯を取つて下り立たれました。
そこでその土地を名づけて楯津と言います。
今でも日下くさかの蓼津たでつと言いつております。

かくてナガスネ彦と戰われた時に、
イツセの命が御手にナガスネ彦の矢の傷をお負いになりました。
そこで仰せられるのには
「自分は日の神の御子として、日に向つて戰うのはよろしくない。
そこで賤しい奴の傷を負つたのだ。
今から※「廴+囘」つて行つて日を背中にして撃とう」と仰せられて、
南の方から※「廴+囘」つておいでになる時に、
和泉いずみの國のチヌの海に至つてその御手の血をお洗いになりました。
そこでチヌの海とは言うのです。

其處から※(「廴+囘」)つておいでになつて、
紀伊きいの國のヲの水門みなとにおいでになつて仰せられるには、
「賤しい奴のために手傷を負つて死ぬのは殘念である」
と叫ばれてお隱れになりました。

それで其處をヲの水門みなとと言います。
御陵は紀伊の國の竈山かまやまにあります。

●熊野から大和へ

カムヤマトイハレ彦の命は、
その土地から※(「廴+囘」)つておいでになつて、
熊野においでになつた時に、
大きな熊がぼうつと現れて、消えてしまいました。

ここにカムヤマトイハレ彦の命は俄に氣を失われ、
兵士どもも皆氣を失つて仆れてしまいました。

この時熊野のタカクラジという者が一つの大刀をもつて天の神の御子の臥しておいでになる處に來て奉る時に、
お寤さめになつて、「隨分寢たことだつた」と仰せられました。

その大刀をお受け取りなさいました時に、
熊野の山の惡い神たちが自然に皆切り仆されて、
かの正氣を失つた軍隊が悉く寤さめました。

そこで天の神の御子がその大刀を獲た仔細をお尋ねになりましたから、
タカクラジがお答え申し上げるには、
「わたくしの夢に、天照らす大神と高木の神のお二方の御命令で、
タケミカヅチの神を召して、
葦原の中心の國はひどく騷いでいる。
わたしの御子みこたちは困つていらつしやるらしい。
あの葦原の中心の國はもつぱらあなたが平定した國である。
だからお前タケミカヅチの神、降つて行けと仰せになりました。

そこでタケミカヅチの神がお答え申し上げるには、
わたくしが降りませんでも、その時に國を平定した大刀がありますから、これを降しましよう。
この大刀を降す方法は、タカクラジの倉の屋根に穴をあけて其處から墮し入れましようと申しました。

そこでわたくしに、お前は朝目が寤さめたら、この大刀を取つて天の神の御子に奉れとお教えなさいました。
そこで夢の教えのままに、朝早く倉を見ますとほんとうに大刀がありました。
依つてこの大刀を奉るのです」と申しました。

この大刀の名はサジフツの神、またの名はミカフツの神、またの名はフツノミタマと言います。
今石上いそのかみ神宮にあります。

ここにまた高木の神の御命令でお教えになるには、
「天の神の御子よ、これより奧にはおはいりなさいますな。惡い神が澤山おります。
今天から八咫烏やたがらすをよこしましよう。
その八咫烏が導きするでしようから、その後よりおいでなさい」とお教え申しました。

はたして、その御教えの通り八咫烏の後からおいでになりますと、吉野河の下流に到りました。

時に河に筌うえを入いれて魚を取る人があります。
そこで天の神の御子が「お前は誰ですか」とお尋ねになると、
「わたくしはこの土地にいる神で、ニヘモツノコであります」と申しました。
これは阿陀の鵜飼の祖先です。

それからおいでになると、尾のある人が井から出て來ました。
その井は光つております。
「お前は誰ですか」とお尋ねになりますと、
「わたくしはこの土地にいる神、名はヰヒカと申します」と申しました。
これは吉野の首等おびとらの祖先です。

そこでその山におはいりになりますと、
また尾のある人に遇いました。
この人は巖を押し分けて出てきます。
「お前は誰ですか」とお尋ねになりますと、
「わたくしはこの土地にいる神で、イハオシワクであります。
今天の神の御子がおいでになりますと聞きましたから、參り出て來ました」と申しました。

これは吉野の國栖くずの祖先です。
それから山坂を蹈み穿うがつて越えてウダにおいでになりました。
依つて宇陀うだのウガチと言います。

●久米歌
この時に宇陀うだにエウカシ・オトウカシという二人ふたりがあります。
依つてまず八咫烏やたがらすを遣つて、
「今天の神の御子がおいでになりました。お前方はお仕え申し上げるか」と問わしめました。

しかるにエウカシは鏑矢かぶらやを以つてその使を射返しました。
その鏑矢の落ちた處をカブラ埼さきと言います。
「待つて撃とう」と言つて軍を集めましたが、集め得ませんでしたから、
「お仕え申しましよう」と僞つて、大殿を作つてその殿の内に仕掛を作つて待ちました時に、
オトウカシがまず出て來て、拜して、「わたくしの兄のエウカシは、天の神の御子のお使を射返し、
待ち攻めようとして兵士を集めましたが集め得ませんので、
御殿を作りその内に仕掛を作つて待ち取ろうとしております。
それで出て參りましてこのことを申し上げます」と申しました。

そこで大伴おおともの連等むらじらの祖先そせんのミチノオミの命、
久米くめの直等あたえらの祖先のオホクメの命二人がエウカシを呼んで罵ののしつて言うには、
「貴樣が作つてお仕え申し上げる御殿の内には、自分が先に入つてお仕え申そうとする樣をあきらかにせよ」
と言つて、刀の柄つかを掴つかみ矛ほこをさしあて矢をつがえて追い入れる時に、
自分の張つて置いた仕掛に打たれて死にました。
そこで引き出して、斬り散らしました。

その土地を宇陀うだの血原ちはらと言います。
そうしてそのオトウカシが獻上した御馳走を悉く軍隊に賜わりました。

そのオトウカシは宇陀の水取もひとり等の祖先です。

次に、忍坂おさかの大室おおむろにおいでになつた時に、
尾のある穴居の人八十人の武士がその室にあつて威張いばつております。

そこで天の神の御子の御命令でお料理を賜わり、
八十人の武士に當てて八十人の料理人を用意して、
その人毎に大刀を佩はかして、
その料理人どもに「歌を聞いたならば一緒に立つて武士を斬れ」とお教えなさいました。

刀を拔いて一時に打ち殺してしまいました。

その後、ナガスネ彦をお撃ちになろうとした

また、エシキ、オトシキをお撃ちになりました時に、御軍の兵士たちが、少し疲れました。

最後にトミのナガスネ彦をお撃うちになりました。

時にニギハヤビの命が天の神の御子のもとに參つて申し上げるには、
「天の神の御子が天からお降りになつたと聞きましたから、後を追つて降つて參りました」と申し上げて、
天から持つて來た寶物を捧げてお仕え申しました。

このニギハヤビの命がナガスネ彦の妹トミヤ姫と結婚して生んだ子がウマシマヂの命で、
これが物部もののべの連・穗積の臣・采女うねめの臣等の祖先です。

そこでかようにして亂暴な神たちを平定し、
服從しない人どもを追い撥はらつて、
畝傍うねびの橿原かしはらの宮において天下をお治めになりました。

●神の御子

はじめ日向ひうがの國においでになつた時に、
阿多あたの小椅おばしの君の妹のアヒラ姫という方と結婚して、
タギシミミの命・
キスミミの命と
お二方の御子がありました。

しかし更に皇后となさるべき孃子おとめをお求めになつた時に、
オホクメの命の申しますには、
「神の御子と傳える孃子があります。
そのわけは三嶋みしまのミゾクヒの娘むすめのセヤダタラ姫という方が非常に美しかつたので、
三輪みわのオホモノヌシの神がこれを見て、
その孃子が厠かわやにいる時に、
赤く塗つた矢になつてその河を流れて來ました。
その孃子が驚いてその矢を持つて來て床の邊ほとりに置きましたところ、
たちまちに美しい男になつて、
その孃子と結婚して生んだ子がホトタタライススキ姫であります。
後にこの方は名をヒメタタライスケヨリ姫と改めました。
これはそのホトという事を嫌つて、後に改めたのです。
そういう次第で、神の御子と申すのです」と申し上げました。

ある時七人の孃子が大和のタカサジ野で遊んでいる時に、このイスケヨリ姫も混まじつていました。
そこでオホクメの命が、そのイスケヨリ姫を見て、歌で天皇に申し上げるには、

ここにオホクメの命が、天皇の仰せをそのイスケヨリ姫に傳えました時に、
姫はオホクメの命の眼の裂目さけめに黥いれずみをしているのを見て不思議に思つて、

かくてその孃子は「お仕え申しあげましよう」と申しました。

そのイスケヨリ姫のお家はサヰ河のほとりにありました。
この姫のもとにおいでになつて一夜お寢やすみになりました。
その河をサヰ河というわけは、
河のほとりに山百合やまゆり草が澤山ありましたから、その名を取つて名づけたのです。
山百合草のもとの名はサヰと言つたのです。

かくしてお生まれになつた御子は、
ヒコヤヰの命・
カムヤヰミミの命・
カムヌナカハミミの命のお三方です。

●タギシミミの命の變

天皇がお隱れになつてから、
その庶兄ままあにのタギシミミの命が、皇后のイスケヨリ姫と結婚した時に、
三人の弟たちを殺ころそうとして謀はかつたので、
母君ははぎみのイスケヨリ姫が御心配になつて、歌でこの事を御子たちにお知らせになりました。

そこで御子たちがお聞きになつて、驚いてタギシミミを殺そうとなさいました時に、

カムヌナカハミミの命が、兄君のカムヤヰミミの命に、
「あなたは武器を持つてはいつてタギシミミをお殺しなさいませ」と申しました。

そこで武器を持つて殺そうとされた時に、手足が震えて殺すことができませんでした。
そこで弟のカムヌナカハミミの命が兄君の持つておられる武器を乞い取つて、
はいつてタギシミミを殺しました。
そこでまた御名みなを讚たたえてタケヌナカハミミの命と申し上げます。

かくてカムヤヰミミの命が弟のタケヌナカハミミの命に國を讓つて申されるには、
「わたしは仇を殺すことができません。それをあなたが殺しておしまいになりました。
ですからわたしは兄であつても、上にいることはできません。
あなたが天皇になつて天下をお治め遊ばせ。わたしはあなたを助けて祭をする人としてお仕え申しましよう」
と申しました。

そこでそのヒコヤヰの命は、茨田うまらたの連むらじ・手島の連の祖先です。
カムヤヰミミの命は、
意富おおの臣おみ・
小子部ちいさこべの連・
坂合部の連・
火の君・
大分おおきたの君・
阿蘇あその君・
筑紫の三家みやけの連・
雀部さざきべの臣・
雀部の造みやつこ・
小長谷おはつせの造・
都祁つげの直あたえ・
伊余いよの國の造・
科野しなのの國の造・
道の奧の石城いわきの國の造・
常道ひたちの仲の國の造・
長狹ながさの國の造・
伊勢の船木ふなきの直・
尾張の丹羽にわの臣・
島田の臣等の祖先です。

カムヌナカハミミの命は、天下をお治めになりました。

すべてこのカムヤマトイハレ彦の天皇は、御歳おとし百三十七歳、
御陵は畝傍山の北の方の白檮かしの尾おの上えにあります。

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