古事記 青空文庫で読む 中の巻vol.2 綏靖天皇以後八代【2~9代天皇】(頭の整理用)
以下参考
https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/card51732.html
●●●二、綏靖 すいせい 天皇以後八代
●②綏靖天皇
カムヌナカハミミの命(綏靖天皇すいせいてんのう)、
大和の國の葛城かずらきの高岡の宮においでになつて天下をお治め遊ばされました。
この天皇、シキの縣主あがたぬしの祖先のカハマタ姫と結婚してお生みになつた御子は
シキツ彦タマデミの命お一方です。
天皇は御年四十五歳、御陵は衝田つきだの岡にあります。
●③安寧あんねい天皇
シキツ彦タマデミの命(安寧天皇)、
大和の片鹽かたしおの浮穴うきあなの宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇はカハマタ姫の兄の縣主あがたぬしハエの女のアクト姫と結婚してお生みになつた御子は、
トコネツ彦イロネの命・
オホヤマト彦スキトモの命・
シキツ彦の命のお三方です。
この天皇の御子たち合わせてお三方の中、
オホヤマト彦スキトモの命は、天下をお治めになりました。
次にシキツ彦の命の御子がお二方あつて、
お一方の子孫は、伊賀の須知の稻置いなき・
那婆理なはりの稻置・
三野の稻置の祖先です。
お一方の御子ワチツミの命は淡路の御井みいの宮においでになり、姫宮がお二方おありになりました。
その姉君あねぎみはハヘイロネ、またの名はオホヤマトクニアレ姫の命、
妹君はハヘイロドです。
この天皇の御年四十九歳、御陵は畝傍山のミホトにあります。
●④懿徳いとく天皇
オホヤマト彦スキトモの命(懿徳天皇)、
大和の輕かるの境岡さかいおかの宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇はシキの縣主あがたぬしの祖先フトマワカ姫の命、またの名はイヒヒ姫の命と結婚してお生みになつた御子は、
ミマツ彦カヱシネの命と
タギシ彦の命とお二方です。
このミマツ彦カヱシネの命は天下をお治めなさいました。
次にタギシ彦の命は、
血沼ちぬの別わけ・
多遲麻たじまの竹の別・
葦井あしいの稻置いなきの祖先です。
天皇は御年四十五歳、御陵は畝傍山のマナゴ谷の上にあります。
●⑤孝昭天皇
ミマツ彦カヱシネの命(孝昭天皇)、
大和の葛城の掖上わきがみの宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇は尾張おわりの連の祖先のオキツヨソの妹ヨソタホ姫の命と結婚してお生みになつた御子は
アメオシタラシ彦の命と
オホヤマトタラシ彦クニオシビトの命とお二方です。
このオホヤマトタラシ彦クニオシビトの命は天下をお治めなさいました。
兄のアメオシタラシ彦の命は
・[#「・」はママ]春日の臣・
大宅おおやけの臣・
粟田の臣・
小野の臣・
柿本の臣・
壹比韋いちひいの臣・
大坂の臣・
阿那の臣・
多紀たきの臣・
羽栗の臣・
知多の臣・
牟耶むざの臣・
都怒つの山の臣・
伊勢の飯高の君・
壹師の君・
近つ淡海の國の造の祖先です。
天皇は御年九十三歳、御陵は掖上の博多はかた山の上にあります。
●⑥孝安天皇
オホヤマトタラシ彦クニオシビトの命(孝安天皇)、
大和の葛城の室の秋津島の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇は姪めいのオシカ姫の命と結婚してお生みになつた御子は、
オホキビノモロススの命と
オホヤマトネコ彦フトニの命とお二方です。
このオホヤマトネコ彦フトニの命は天下をお治めなさいました。
天皇は御年百二十三歳、御陵は玉手の岡の上にあります。
●⑦孝靈天皇
オホヤマトネコ彦フトニの命(孝靈天皇)、
大和の黒田の廬戸いおとの宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇、トヲチの縣主の祖先のオホメの女のクハシ姫の命と結婚してお生みになつた御子は、
オホヤマトネコ彦クニクルの命お一方です。
また春日かすがのチチハヤマワカ姫と結婚してお生みになつた御子は、
チチハヤ姫の命お一方です。
オホヤマトクニアレ姫の命と結婚してお生みになつた御子は、
ヤマトトモモソ姫の命・
ヒコサシカタワケの命・
ヒコイサセリ彦の命、またの名はオホキビツ彦の命・
ヤマトトビハヤワカヤ姫のお四方です。
またそのアレ姫の命の妹ハヘイロドと結婚してお生みになつた御子は、
ヒコサメマの命と
ワカヒコタケキビツ彦の命とお二方です。
この天皇の御子みこは合わせて八人にんおいでになりました。
男王五人、女王三人です。
そこでオホヤマトネコ彦クニクルの命は天下をお治めなさいました。
オホキビツ彦の命と
ワカタケキビツ彦の命とは、
お二方で播磨はりまの氷ひの河かわの埼さきに忌瓮いわいべを据すえて神かみを祭まつり、
播磨からはいつて吉備きびの國を平定されました。
このオホキビツ彦の命は、吉備の上の道の臣の祖先です。
次にワカヒコタケキビツ彦の命は、吉備の下の道の臣・笠の臣の祖先です。
次にヒコサメマの命は、播磨の牛鹿うしかの臣の祖先です。
次にヒコサシカタワケの命は、
高志こしの利波となみの臣・
豐國の國前さきの臣・
五百原の君・
角鹿の濟わたりの直の祖先です。
天皇は御年百六歳、御陵は片岡の馬坂うまさかの上にあります。
●⑧孝元天皇
オホヤマトネコ彦クニクルの命(孝元天皇)、
大和の輕の堺原さかいはらの宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇は穗積ほずみの臣等の祖先のウツシコヲの命の妹のウツシコメの命と結婚してお生みになつた御子は
大彦おおびこの命・
スクナヒコタケヰココロの命・
ワカヤマトネコ彦オホビビの命のお三方です。
またウツシコヲの命の女のイカガシコメの命と結婚してお生みになつた御子は
ヒコフツオシノマコトの命お一方です。
また河内のアヲタマの女のハニヤス姫と結婚してお生みになつた御子は
タケハニヤス彦の命お一方です。
この天皇の御子たち合わせてお五方いつかたおいでになります。
このうちワカヤマトネコ彦オホビビの命は天下をお治めなさいました。
その兄、大彦の命の子タケヌナカハワケの命は阿部の臣等の祖先です。
次にヒコイナコジワケの命は膳かしわでの臣の祖先です。
ヒコフツオシノマコトの命が、尾張おわりの連の祖先のオホナビの妹の葛城かずらきのタカチナ姫と結婚して生んだ子は
ウマシウチの宿禰すくね、これは山代やましろの内の臣の祖先です。
また木の國くにの造みやつこの祖先のウヅ彦の妹のヤマシタカゲ姫と結婚して生んだ子はタケシウチの宿禰です。
このタケシウチの宿禰の子は合わせて九人にんあります。
男七人女二人です。
そのハタノヤシロの宿禰は
波多の臣・
林の臣・
波美の臣・
星川の臣・
淡海の臣・
長谷部の君の祖先です。
コセノヲカラの宿禰は
許勢の臣・
雀部の臣・
輕部の臣の祖先です。
ソガノイシカハの宿禰は
蘇我の臣・
川邊の臣・
田中の臣・
高向たかむくの臣・
小治田おはりだの臣・
櫻井の臣・
岸田の臣等の祖先です。
ヘグリノツクの宿禰すくねは、
平群の臣・
佐和良の臣・
馬の御※(「識」の「言」に代えて「木」、)みくいの連等の祖先です。
キノツノの宿禰すくねは、
木の臣・
都奴の臣・
坂本の臣の祖先です。
次にクメノマイト姫・
ノノイロ姫です。
葛城かずらきの長江ながえのソツ彦は、
玉手の臣・
的いくはの臣・
生江の臣・
阿藝那あきなの臣等の祖先です。
次に若子わくごの宿禰すくねは、江野の財の臣の祖先です。
この天皇は御年五十七歳、御陵ごりようは劒の池の中の岡の上にあります。
●⑨開化天皇
ワカヤマトネコ彦オホビビの命(開化天皇)、
大和の春日のイザ河の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇は、丹波たんばの大縣主おおあがたぬしユゴリの女のタカノ姫と結婚してお生みになつた御子は
ヒコユムスミの命お一方です。
またイカガシコメの命と結婚してお生みになつた御子は
ミマキイリ彦イニヱの命と
ミマツ姫の命とのお二方です。
また丸邇わにの臣の祖先のヒコクニオケツの命の妹のオケツ姫の命と結婚してお生みになつた御子は
ヒコイマスの王みこお一方です。
また葛城かずらきのタルミの宿禰の女のワシ姫と結婚してお生みになつた御子は
タケトヨハツラワケの王お一方です。
合わせて五人おいでになりました。
このうちミマキイリ彦イニヱの命は天下をお治めなさいました。
その兄ヒコユムスミの王の御子は、
オホツツキタリネの王と
サヌキタリネの王とお二方で、
この二王の女は五人ありました。
次にヒコイマスの王が山代やましろのエナツ姫、またの名はカリハタトベと結婚して生んだ子は
オホマタの王と
ヲマタの王と
シブミの宿禰の王とお三方です。
またこの王が春日のタケクニカツトメの女のサホのオホクラミトメと結婚して生んだ子が
サホ彦の王・
ヲザホの王・
サホ姫の命・
ムロビコの王のお四方です。
サホ姫の命はまたの名はサハヂ姫で、この方はイクメ天皇の皇后樣におなりになりました。
また近江の國の御上みかみ山の神職がお祭するアメノミカゲの神の女オキナガノミヅヨリ姫と結婚して生んだ子は
丹波ノヒコタタスミチノウシの王・
ミヅホノマワカの王・
カムオホネの王、またの名はヤツリのイリビコの王・
ミヅホノイホヨリ姫・
ミヰツ姫の五人です。
また母の妹オケツ姫と結婚して生んだ子は
山代のオホツツキのマワカの王・
ヒコオスの王・
イリネの王の三人です。
すべてヒコイマスの王の御子は合わせて十五人ありました。
兄のオホマタの王の子は
アケタツの王・
ウナガミの王の二人です。
このアケタツの王は、伊勢の品遲部ほんじべ・伊勢の佐那の造の祖先です。
ウナガミの王は、比賣陀の君の祖先です。
次にヲマタの王は當麻たぎまの勾まがりの君の祖先です。
次にシブミの宿禰の王は佐佐の君の祖先です。
次にサホ彦の王は日下部くさかべの連・甲斐の國の造の祖先です。
次にヲザホの王は葛野かずのの別・近つ淡海の蚊野かやの別の祖先です。
次にムロビコの王は若狹の耳の別の祖先です。
そのミチノウシの王が丹波の河上のマスの郎女いらつめと結婚して生んだ子は
ヒバス姫の命・
マトノ姫の命・
オト姫の命・
ミカドワケの王の四人です。
このミカドワケの王は、三川の穗の別の祖先です。
このミチノウシの王の弟ミヅホノマワカの王は近つ淡海の安の直の祖先です。
次にカムオホネの王は三野の國の造・
本巣もとすの國の造・
長幡部ながはたべの連の祖先です。
その山代やましろのオホツツキマワカの王は弟君イリネの王の女の丹波たんばのアヂサハ姫と結婚して生んだ御子は、
カニメイカヅチの王です。
この王が丹波たんばの遠津の臣の女のタカキ姫と結婚して生んだ御子はオキナガの宿禰の王です。
この王が葛城のタカヌカ姫と結婚して生んだ御子が
オキナガタラシ姫の命・
ソラツ姫の命・
オキナガ彦の王の三人です。
このオキナガ彦の王は、吉備の品遲ほむじの君・播磨の阿宗の君の祖先です。
またオキナガの宿禰の王が、カハマタノイナヨリ姫と結婚して生んだ子が
オホタムサカの王で、この方は但馬たじまの國の造の祖先です。
上に出たタケトヨハヅラワケの王は、
道守の臣・
忍海部の造・
御名部の造・
稻羽の忍海部・
丹波の竹野の別・
依網よさみの阿毘古等の祖先です。
この天皇は御年六十三歳、御陵はイザ河の坂の上にあります。