古事記 青空文庫で読む 中の巻vol.7 應神天皇【15代天皇】(頭の整理用)
以下参考
https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/card51732.html
●后妃と皇子女
ホムダワケの命(應神天皇)、
大和の輕島かるしまの明あきらの宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇はホムダノマワカの王の女王お三方と結婚されました。
お一方は、タカギノイリ姫の命、次は中姫の命、次は弟姫の命であります。
この女王たちの御父、ホムダノマワカの王はイホキノイリ彦の命が、
尾張の直の祖先のタケイナダの宿禰の女のシリツキトメと結婚して生んだ子であります。
そこでタカギノイリ姫の生んだ御子みこは、
ヌカダノオホナカツヒコの命・
オホヤマモリの命・
イザノマワカの命・
オホハラの郎女いらつめ・
タカモクの郎女いらつめの御おん五方かたです。
中姫の命の生んだ御子みこは、
キノアラタの郎女いらつめ・
オホサザキの命・
ネトリの命のお三方です。
弟姫の命の御子は、
阿部あべの郎女・
アハヂノミハラの郎女・
キノウノの郎女・
ミノの郎女のお五方です。
また天皇、ワニノヒフレのオホミの女のミヤヌシヤガハエ姫と結婚してお生うみになつた御子みこは、
ウヂの若郎子わきいらつこ・
ヤタの若郎女わきいらつめ・
メトリの王のお三方です。
またそのヤガハエ姫の妹ヲナベの郎女と結婚してお生みになつた御子は、
ウヂの若郎女お一方です。
またクヒマタナガ彦の王の女のオキナガマワカナカツ姫と結婚してお生みになつた御子は
ワカヌケフタマタの王お一方です。
また櫻井の田部たべの連の祖先そせんのシマタリネの女のイトヰ姫と結婚してお生みになつた御子は
ハヤブサワケの命お一方です。
また日向のイヅミノナガ姫と結婚してお生みになつた御子は
オホハエの王・
ヲハエの王・
ハタビの若郎女のお三方です。
またカグロ姫と結婚してお生みになつた御子は
カハラダの郎女・
タマの郎女・
オシサカノオホナカツ姫・
トホシの郎女・
カタヂの王の御五方です。
またカヅラキノノノイロメと結婚してお生みになつた御子は、
イザノマワカの王お一方です。
すべてこの天皇の御子たちは合わせて二十六王おいで遊あそばされました。
男王十一人女王十五人です。
この中でオホサザキの命は天下をお治めになりました。
●オホヤマモリの命とオホサザキの命
ここに天皇がオホヤマモリの命とオホサザキの命とに
「あなたたちは兄である子と弟である子とは、どちらがかわいいか」とお尋ねなさいました。
天皇がかようにお尋ねになつたわけは、
ウヂの若郎子に天下をお授けになろうとする御心がおありになつたからであります。
しかるにオホヤマモリの命は、「上の子の方がかわゆく思われます」と申しました。
次にオホサザキの命は天皇のお尋ね遊ばされる御心をお知りになつて申されますには、
「大きい方の子は既に人となつておりますから案ずることもございませんが、
小さい子はまだ若いのですから愛らしく思われます」と申しました。
そこで天皇の仰せになりますには、
「オホサザキよ、あなたの言うのはわたしの思う通りです」と仰せになつて、
そこでそれぞれに詔みことのりを下されて、
「オホヤマモリの命は海や山のことを管理なさい。
オホサザキの命は天下の政治を執つて天皇に奏上なさい。ウヂの若郎子は帝位におつきなさい」
とお分わけになりました。
依つてオホサザキの命は父君の御命令に背きませんでした。
●葛野かずのの歌
葉の茂しげつた葛野かずのを見れば、
幾千も富み榮えた家居が見える、
國の中での良い處が見える。
●蟹の歌
かくて木幡こばたの村においでになつた時に、その道で美しい孃子にお遇いになりました。
そこで天皇がその孃子に、「あなたは誰の子か」とお尋ねになりましたから、お答え申し上げるには、
「ワニノヒフレのオホミの女のミヤヌシヤガハエ姫でございます」と申しました。
かくて御結婚なすつてお生うみになつた子がウヂの若郎子わきいらつこでございました。
●髮長姫
また天皇が、日向の國の諸縣むらがたの君の女むすめの髮長姫かみながひめが美しいとお聞きになつて、
お使い遊ばそうとして、お召めし上げなさいます時に、
太子のオホサザキの命がその孃子の難波津に船つきしているのを御覽になつて、
その容姿のりつぱなのに感心なさいまして、
タケシウチの宿禰すくねにお頼みになるには
「この日向からお召し上げになつた髮長姫を、陛下の御もとにお願いしてわたしに賜わるようにしてくれ」と仰せられました。
依つてタケシウチの宿禰の大臣が天皇の仰せを願いましたから、
天皇が髮長姫をその御子にお授けになりました。
お授けになる樣は、天皇が御酒宴を遊ばされた日に、髮長姫にお酒を注ぐ柏葉かしわを取らしめて、その太子に賜わりました。
●國主歌くずうた
●文化の渡來
この御世に、海部あまべ・山部・山守部・伊勢部をお定めになりました。
劒の池を作りました。
また新羅人しらぎびとが渡つて來ましたので、
タケシウチの宿禰がこれを率ひきいて堤の池に渡つて百濟くだらの池を作りました。
また百濟くだらの國王照古王しようこおうが牡馬おうま一疋・牝馬めうま一疋をアチキシに付けて貢たてまつりました。
このアチキシは阿直あちの史等ふみひとの祖先です。
また大刀と大鏡とを貢りました。
また百濟の國に、もし賢人があれば貢れと仰せられましたから、
命を受けて貢つた人はワニキシといい、
論語十卷・千字文じもん一卷、合わせて十一卷をこの人に付けて貢りました。
また工人の鍛冶屋かじや卓素たくそという者、また機はたを織る西素さいその二人をも貢りました。
秦はたの造みやつこ、
漢あやの直あたえの祖先、
それから酒を造ることを知しつているニホ、またの名なをススコリという者等も渡つて參りました。
このススコリはお酒を造つて獻りました。
●オホヤマモリの命とウヂの若郎子
かくして天皇がお崩かくれになつてから、
オホサザキの命は天皇の仰せのままに天下をウヂの若郎子に讓りました。
しかるにオホヤマモリの命は天皇の命に背いてやはり天下を獲えようとして、
その弟の御子を殺そうとする心があつて、竊に兵士を備えて攻めようとしました。
そこでオホサザキの命はその兄が軍をお備えになることをお聞きになつて、
使を遣つてウヂの若郎子に告げさせました。
依つてお驚きになつて、兵士を河のほとりに隱し、またその山の上にテントを張り、
幕を立てて、詐つて召使を王樣として椅子にいさせ、
百官が敬禮し往來する樣はあたかも王のおいでになるような有樣にして、
また兄の王の河をお渡りになる時の用意に、船※(「楫+戈」)ふねかじを具え飾り、
さな葛かずらという蔓草の根を臼でついて、その汁の滑なめを取り、その船の中の竹簀すのこに塗つて、
蹈めば滑すべつて仆れるように作り、御子はみずから布の衣裝を著て、賤しい者の形になつて棹を取つて立ちました。
ここにその兄の王が兵士を隱し、鎧よろいを衣の中に著せて、河のほとりに到つて船にお乘りになろうとする時に、
そのいかめしく飾つた處を見遣つて、弟の王がその椅子においでになるとお思いになつて、
棹を取つて船に立つておいでになることを知らないで、その棹を取つている者にお尋ねになるには、
「この山には怒つた大猪があると傳え聞いている。わしがその猪を取ろうと思うが取れるだろうか」
とお尋ねになりましたから、
棹を取つた者は「それは取れますまい」と申しました。
また「どうしてか」とお尋ねになつたので、
「たびたび取ろうとする者があつたが取れませんでした。それだからお取りになれますまいと申すのです」と申しました。
さて、渡つて河中に到りました時に、その船を傾けさせて水の中に落し入れました。そこで浮き出て水のまにまに流れ下りました。
そこで河の邊に隱れた兵士が、あちこちから一時に起つて矢をつがえて攻めて川を流れさせました。
そこでカワラの埼さきに到つて沈みました。
それで鉤かぎをもつて沈んだ處を探りましたら、衣の中の鎧にかかつてカワラと鳴りました。
依つて其處の名をカワラの埼というのです。
そのオホヤマモリの命の屍體をば奈良山に葬りました。
このオホヤマモリの命は、土形ひじかたの君・幣岐へきの君・榛原はりはらの君等の祖先です。
かくてオホサザキの命とウヂの若郎子とお二方、おのおの天下をお讓りになる時に、海人あまが貢物を獻りました。
依つて兄の王はこれを拒んで弟の王に獻らしめ、
弟の王はまた兄の王に獻らしめて、互にお讓りになる間にあまたの日を經ました。
かようにお讓り遊ばされることは一度二度でありませんでしたから、海人は往來に疲れて泣きました。
それで諺に、「海人だから自分の物ゆえに泣くのだ」というのです。
しかるにウヂの若郎子は早くお隱れになりましたから、
オホサザキの命が天下をお治めなさいました。
●天の日矛
また新羅しらぎの國王の子の天あめの日矛ひほこという者がありました。
この人が渡つて參りました。
その渡つて來た故は、新羅の國に一つの沼がありまして、アグ沼といいます。
この沼の邊で或る賤の女が晝寢をしました。
其處に日の光が虹のようにその女にさしましたのを、
或る賤の男がその有樣を怪しいと思つて、
その女の状を伺いました。
しかるにその女はその晝寢をした時から姙んで、赤い玉を生みました。
その伺つていた賤の男がその玉を乞い取つて、常に包つつんで腰につけておりました。
この人は山谷の間で田を作つておりましたから、
耕作する人たちの飮食物を牛に負わせて山谷の中にはいりましたところ、
國王の子の天の日矛が遇いました。
そこでその男に言うには、
「お前はなぜ飮食物を牛に背負わせて山谷にはいるのか。きつとこの牛を殺して食うのだろう」と言つて、
その男を捕えて牢に入れようとしましたから、
その男が答えて言うには、
「わたくしは牛を殺そうとは致しません。ただ農夫の食物を送るのです」と言いました。
それでも赦しませんでしたから、
腰につけていた玉を解いてその國王の子に贈りました。
依つてその男を赦して、玉を持つて來て床の邊に置きましたら、
美しい孃子になり、遂に婚姻して本妻としました。
その孃子は、常に種々の珍味を作つて、いつもその夫に進めました。
しかるにその國王の子が心奢おごりして妻を詈ののしりましたから、
その女が「大體わたくしはあなたの妻になるべき女ではございません。母上のいる國に行きましよう」
と言つて、
竊に小船に乘つて逃げ渡つて來て難波に留まりました。
これは難波のヒメゴソの社においでになるアカル姫という神です。
そこで天の日矛がその妻の逃げたことを聞いて、
追い渡つて來て難波にはいろうとする時に、
その海上の神が、塞いで入れませんでした。
依つて更に還つて、但馬たじまの國に船泊はてをし、その國に留まつて、
但馬のマタヲの女のマヘツミと結婚して生うんだ子はタヂマモロスクです。
その子がタヂマヒネ、
その子がタヂマヒナラキ、
その子は、タヂマモリ・タヂマヒタカ・キヨ彦の三人です。
このキヨ彦がタギマノメヒと結婚して生うんだ子がスガノモロヲとスガカマユラドミです。
上に擧げたタヂマヒタカがその姪めいのユラドミと結婚して生んだ子が葛城のタカヌカ姫の命で、
これがオキナガタラシ姫の命(神功皇后)の母君です。
この天の日矛の持つて渡つて來た寶物は、
玉つ寶という玉の緒に貫いたもの二本、
また浪振る領巾ひれ・浪切る領巾・風振る領巾・風切る領巾・奧つ鏡・邊つ鏡、合わせて八種です。
これらはイヅシの社やしろに祭まつつてある八神です。
●秋山の下氷壯夫と春山の霞壯夫
ここに神の女むすめ、イヅシ孃子という神がありました。
多くの神がこのイヅシ孃子を得ようとしましたが得られませんでした。
ここに秋山の下氷壯夫したひおとこ・
春山の霞壯夫かすみおとこという兄弟の神があります。
その兄が弟に言いますには、
「わたしはイヅシ孃子を得ようと思いますけれども得られません。お前はこの孃子を得られるか」と言いましたから、
「たやすいことです」と言いました。
そこでその兄の言いますには、
「もしお前がこの孃子を得たなら、上下の衣服をゆずり、身の丈たけほどに甕かめに酒を造り、
また山河の産物を悉く備えて御馳走をしよう」と言いました。
そこでその弟が兄の言つた通りに詳しく母親に申しましたから、
その母親が藤の蔓を取つて、一夜のほどに衣ころも・褌はかま・襪くつした・沓くつまで織り縫い、
また弓矢を作つて、衣裝を著せその弓矢を持たせて、その孃子の家に遣りましたら、
その衣裝も弓矢も悉く藤の花になりました。
そこでその春山の霞壯夫が弓矢ゆみやを孃子の厠に懸けましたのを、
イヅシ孃子がその花を不思議に思つて、持つて來る時に、その孃子のうしろに立つて、その部屋にはいつて結婚をして、
一人の子を生みました。
そこでその兄に「わたしはイヅシ孃子を得ました」と言う。
しかるに兄は弟の結婚したことを憤つて、その賭けた物を償いませんでした。
依つてその母に訴えました。
母親が言うには、「わたしたちの世の事は、すべて神の仕業に習うものです。
それだのにこの世の人の仕業に習つてか、その物を償わない」と言つて、
その兄の子を恨んで、
イヅシ河の河島の節のある竹を取つて、大きな目の荒い籠を作り、その河の石を取つて、鹽にまぜて竹の葉に包んで、
詛言のろいごとを言つて、
「この竹の葉の青いように、この竹の葉の萎しおれるように、青くなつて萎れよ。
またこの鹽の盈みちたり乾ひたりするように盈ち乾よ。またこの石の沈むように沈み伏せ」と、
このように詛のろつて、竈かまどの上に置かしめました。
それでその兄が八年もの間、乾かわき萎しおれ病やみ伏ふしました。
そこでその兄が、泣なき悲しんで願いましたから、その詛のろいの物をもとに返しました。
そこでその身がもとの通りに安らかになりました。
●系譜
このホムダの天皇の御子のワカノケフタマタの王が、
その母の妹のモモシキイロベ、またの名はオトヒメマワカ姫の命と結婚して生んだ子は、
大郎子、またの名はオホホドの王・
オサカノオホナカツ姫の命・
タヰノナカツ姫・
タミヤノナカツ姫・
フヂハラノコトフシの郎女・
トリメの王・
サネの王の七人です。
そこでオホホドの王は、
三國の君・
波多の君・
息長おきながの君・
筑紫の米多の君・
長坂の君・
酒人の君・
山道の君・
布勢の君の祖先です。
またネトリの王が庶妹ミハラの郎女と結婚して生んだ子は、
ナカツ彦の王、
イワシマの王のお二方です。
またカタシハの王の子はクヌの王です。
すべてこのホムダの天皇は御年百三十歳、甲午の九月九日にお隱れになりました。
御陵は河内の惠賀えがの裳伏もふしの岡にあります。