古事記 青空文庫で読む 下の巻vol.1 仁徳天皇【16代天皇】(頭の整理用)
以下参考
https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/card51732.html
●后妃と皇子女
オホサザキの命(仁徳天皇)、難波なにわの高津たかつの宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇、葛城のソツ彦の女の石いわの姫ひめの命(皇后)と結婚してお生みになつた御子は、
オホエノイザホワケの命・
スミノエノナカツの王・
タヂヒノミヅハワケの命・
ヲアサヅマワクゴノスクネの命のお四方です。
また上にあげたヒムカノムラガタの君ウシモロの女の髮長姫と結婚してお生みになつた御子みこは
ハタビの大郎子、またの名はオホクサカの王・
ハタビの若郎女、またの名はナガメ姫の命、またの名はワカクサカベの命のお二方です。
また庶妹ヤタの若郎女と結婚し、また庶妹ウヂの若郎女と結婚しました。
このお二方は御子がありません。
すべてこの天皇の御子たち合わせて六王ありました。
男王五人女王一人です。
この中、イザホワケの命は天下をお治めなさいました。
次にタヂヒノミヅハワケの命も天下をお治めなさいました。
次にヲアサヅマワクゴノスクネの命も天下をお治めなさいました。
この天皇の御世に皇后石いわの姫ひめの命の御名の記念として葛城部をお定めになり、
皇太子イザホワケの命の御名の記念として壬生部をお定めになり、
またミヅハワケの命の御名の記念として蝮部たじひべをお定めになり、
またオホクサカの王の御名の記念として大日下部おおくさかべをお定めになり、
ワカクサカベの王の御名の記念として若日下部をお定めになりました。
●聖の御世
この御世に大陸から來た秦人はたびとを使つて、茨田うまらだの堤、茨田の御倉をお作りになり、
また丸邇わにの池、依網よさみの池をお作りになり、
また難波の堀江を掘つて海に通わし、
また小椅おばしの江を掘り、墨江すみのえの舟つきをお定めになりました。
或る時、天皇、高山にお登りになつて、四方を御覽になつて仰せられますには、
「國内に烟が立つていない。これは國がすべて貧しいからである。
それで今から三年の間人民の租税勞役をすべて免せ」と仰せられました。
この故に宮殿が破壞して雨が漏りますけれども修繕なさいません。
樋ひを掛けて漏る雨を受けて、漏らない處にお遷り遊ばされました。
後に國中を御覽になりますと、國に烟が滿ちております。
そこで人民が富んだとお思いになつて、始めて租税勞役を命ぜられました。
それですから人民が榮えて、勞役に出るのに苦くるしみませんでした。
それでこの御世を稱えて聖ひじりの御世と申します。
●吉備の黒日賣
皇后石の姫の命は非常に嫉妬なさいました。
それで天皇のお使いになつた女たちは宮の中にも入りません。
事が起ると足擦あしずりしてお妬みなさいました。
しかるに天皇、吉備きびの海部あまべの直あたえの女、黒姫くろひめという者が美しいとお聞き遊ばされて、
喚めし上げてお使いなさいました。
しかしながら皇后樣のお妬みになるのを畏れて本國に逃げ下りました。
●皇后石の姫の命
これより後に皇后樣が御宴をお開きになろうとして、
柏かしわの葉を採りに紀伊の國においでになつた時に、
天皇がヤタの若郎女と結婚なさいました。
ここに皇后樣が柏の葉を御船にいつぱいに積んでお還りになる時に、
水取の役所に使われる吉備の國の兒島郡の仕丁しちようが自分の國に歸ろうとして、
難波の大渡おおわたりで遲れた雜仕女ぞうしおんなの船に遇いました。
そこで語りますには
「天皇はこのごろヤタの若郎女と結婚なすつて、夜晝戲れておいでになります。
皇后樣はこの事をお聞き遊ばさないので、しずかに遊んでおいでになるのでしよう」と語りました。
そこでその女がこの語つた言葉を聞いて、御船に追いついて、その仕丁の言いました通りに有樣を申しました。
そこで皇后樣が非常に恨み、お怒りになつて、御船に載せた柏かしわの葉を悉く海に投げ棄てられました。
それで其處を御津みつの埼と言うのです。
そうして皇居におはいりにならないで、船を曲げて堀江に溯らせて、河のままに山城に上つておいでになりました。
クチコの臣、
その妹のクチ姫、
またヌリノミが三人して相談して天皇に申し上げましたことは、
「皇后樣のおいで遊ばされたわけは、ヌリノミの飼つている蟲が、
一度は這はう蟲になり、
一度は殼からになり、
一度は飛ぶ鳥になつて、三色に變るめずらしい蟲があります。
この蟲を御覽になるためにおはいりなされたのでございます。別に變つたお心はございません」
とかように申しました時に、
天皇は「それではわたしも不思議に思うから見に行こう」と仰せられて、
大宮から上つておいでになつて、ヌリノミの家におはいりになつた時に、
ヌリノミが自分の飼つている三色に變る蟲を皇后樣に獻りました。
●ヤタの若郎女
●ハヤブサワケの王とメトリの王
天皇は、弟のハヤブサワケの王を媒人なこうどとしてメトリの王をお求めになりました。
しかるにメトリの王がハヤブサワケの王に言われますには、
「皇后樣を憚かつて、ヤタの若郎女をもお召しになりませんのですから、わたくしもお仕え申しますまい。
わたくしはあなた樣の妻になろうと思います」と言つて結婚なさいました。
それですからハヤブサワケの王は御返事申しませんでした。
ここに天皇は直接にメトリの王のおいでになる處に行かれて、その戸口の閾しきいの上においでになりました。
その時メトリの王は機はたにいて織物を織つておいでになりました。
天皇はこの歌をお聞きになつて、兵士を遣わしてお殺しになろうとしました。
そこでハヤブサワケの王とメトリの王と、共に逃げ去つて、クラハシ山に登りました。
それから逃げて、宇陀うだのソニという處に行き到りました時に、兵士が追つて來て殺してしまいました。
その時に將軍山部の大楯おおだてが、メトリの王の御手に纏まいておいでになつた玉の腕飾を取つて、自分の妻に與えました。
その後に御宴が開かれようとした時に、氏々の女どもが皆朝廷に參りました。
その時大楯の妻はかのメトリの王の玉の腕飾を自分の手に纏いて參りました。
そこで皇后石いわの姫の命が、お手ずから御酒みきの柏かしわの葉をお取りになつて、氏々の女どもに與えられました。
皇后樣はその腕飾を見知つておいでになつて、大楯の妻には御酒の柏の葉をお授けにならないでお引きになつて、
夫の大楯を召し出して仰せられましたことは、
「あのメトリの王たちは無禮でしたから、お退けになつたので、別の事ではありません。
しかるにその奴やつは自分の君の御手に纏いておいでになつた玉の腕飾を、
膚はだも温あたたかいうちに剥ぎ取つて持つて來て、自分の妻に與えたのです」
と仰せられて、死刑に行われました。
●雁の卵
また或る時、天皇が御宴をお開きになろうとして、
姫島ひめじまにおいでになつた時に、その島に雁が卵を生みました。
依つてタケシウチの宿禰を召して、歌をもつて雁の卵を生んだ樣をお尋ねになりました。
●枯野からのという船
この御世にウキ河の西の方に高い樹がありました。
その樹の影は、朝日に當れば淡路島に到り、夕日に當れば河内の高安山を越えました。
そこでこの樹を切つて船に作りましたところ、非常に早はやく行く船でした。
その船の名はカラノといいました。
それでこの船で、朝夕に淡路島の清水を汲んで御料の水と致しました。
この船が壞こわれましてから、鹽を燒き、その燒け殘つた木を取つて琴に作りましたところ、
その音が七郷に聞えました。
この天皇は御年八十三歳、丁卯ひのとうの年の八月十五日にお隱れなさいました。御陵は毛受もずの耳原にあります。