古事記 青空文庫で読む 下の巻vol.3 允恭天皇【19代天皇】(頭の整理用)
以下参考
https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/card51732.html
●后妃と皇子女
弟のヲアサヅマワクゴノスクネの王(允恭天皇)、大和の遠つ飛鳥の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇、オホホドの王の妹のオサカノオホナカツ姫の命と結婚してお生みになつた御子みこは、
キナシノカルの王・
ヲサダの大郎女・
サカヒノクロヒコの王・
アナホの命・カルの大郎女・
ヤツリノシロヒコの王・
オホハツセの命・
タチバナの大郎女・
サカミの郎女の九王です。男王五人女王四人です。
このうちアナホの命は天下をお治めなさいました。
次にオホハツセの命も天下をお治めなさいました。
カルの大郎女はまたの名を衣通そとおしの郎女と申しますのは、その御身の光が衣を通して出ましたからでございます。
●八十伴の緒の氏姓
初はじめ天皇てんのう、帝位にお即つきになろうとしました時に御辭退遊ばされて
「わたしは長い病氣があるから帝位に即つくことができない」と仰せられました。
しかし皇后樣をはじめ臣下たちも堅くお願い申しましたので、天下をお治めなさいました。
この時に新羅の國主が御調物みつぎものの船八十一艘を獻りました。
その御調の大使は名なを金波鎭漢紀武こみぱちにかにきむと言いました。
この人が藥の處方をよく知つておりましたので、天皇の御病氣をお癒し申し上げました。
ここに天皇が天下の氏々の人々の、氏姓うじかばねの誤あやまつているのをお歎きになつて、
大和のウマカシの言八十禍津日ことやそまがつひの埼さきにクカ瓮べを据えて、
天下の臣民たちの氏姓をお定めになりました。
またキナシノカルの太子の御名の記念として輕部をお定めになり、
皇后樣の御名の記念として刑部おさかべをお定めになり、
皇后樣の妹のタヰノナカツ姫の御名の記念として河部をお定めになりました。
天皇御年七十八歳、甲午きのえうまの年の正月十五日にお隱れになりました。御陵は河内の惠賀えがの長枝にあります。
●木梨の輕の太子
天皇がお隱かくれになつてから後のちに、
キナシノカルの太子が帝位におつきになるに定まつておりましたが、
まだ位におつきにならないうちに妹のカルの大郎女に戲れて
そこで官吏を始めとして天下の人たち、カルの太子に背いてアナホの御子に心を寄せました。
依つてカルの太子が畏れて大前小前おおまえおまえの宿禰の大臣の家へ逃げ入つて、兵器を作り備えました。
その時に作つた矢はその矢の筒を銅にしました。
その矢をカル箭やといいます。
アナホの御子も兵器をお作りになりました。
その王のお作りになつた矢は今の矢です。
これをアナホ箭やといいます。
ここにアナホの御子が軍を起して大前小前の宿禰の家を圍みました。
そしてその門に到りました時に大雨が降りました。
ここにその大前小前の宿禰が、手を擧げ膝を打つて舞い奏かなで、歌つて參ります。
この歌は宮人曲みやびとぶりです。
かように歌いながらやつて來て申しますには、
「わたしの御子樣、そのようにお攻めなされますな。もしお攻めになると人が笑うでしよう。わたくしが捕えて獻りましよう」
と申しました。
そこで軍を罷やめて去りました。
かくて大前小前の宿禰がカルの太子を捕えて出て參りました。