古事記 青空文庫で読む 下の巻vol.5 雄略天皇【21代天皇】(頭の整理用)

以下参考

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●后妃と皇子女
オホハツセノワカタケの命(雄略天皇)、大和の長谷はつせの朝倉の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
天皇はオホクサカの王の妹のワカクサカベの王と結婚しました。
御子はございません。
またツブラオホミの女のカラ姫と結婚してお生みになつた御子は、
シラガの命・
ワカタラシの命お二方です。
そこでシラガの太子の御名の記念として白髮部しらがべをお定めになり、
また長谷部はつせべの舍人、河瀬の舍人をお定めになりました。

この御世に大陸から呉人くれびとが渡つて參りました。
その呉人を置きましたので呉原くれはらというのです。

●ワカクサカベの王
初め皇后樣が河内の日下くさかにおいでになつた時に、天皇が日下の直越ただごえの道を通つて河内においでになりました。

依つて山の上にお登りになつて國内を御覽になりますと、屋根の上に高く飾り木をあげて作つた家があります。
天皇が、お尋ねになりますには「あの高く木をあげて作つた家は誰の家か」と仰せられましたから、
お伴の人が「シキの村長の家でございます」と申しました。

そこで天皇が仰せになるには、「あの奴やつは自分の家を天皇の宮殿に似せて造つている」と仰せられて、
人を遣わしてその家をお燒かせになります時に、
村長が畏れ入つて拜禮して申しますには、「奴のことでありますので、分を知らずに過つて作りました。畏れ入りました」
と申しました。
そこで獻上物を致しました。
白い犬に布を※か[#「執/糸」、]けて鈴をつけて、一族のコシハキという人に犬の繩を取らせて獻上しました。
依つてその火をつけることをおやめなさいました。

そこでそのワカクサカベの王の御許おんもとにおいでになつて、
その犬をお贈りになつて仰せられますには、
「この物は今日道で得ためずらしい物だ。贈物としてあげましよう」と言つて、くださいました。

この時にワカクサカベの王が申し上げますには、
「日を背中にしておいでになることは畏れ多いことでございます。依つてわたくしが參上してお仕え申しましよう」
と申しました。

●引田部の赤猪子
また或る時、三輪河にお遊びにおいでになりました時に、河のほとりに衣を洗う孃子がおりました。

美しい人でしたので、天皇がその孃子に「あなたは誰ですか」とお尋ねになりましたから、
「わたくしは引田部ひけたべの赤猪子あかいこと申します」と申しました。

そこで仰せられますには、「あなたは嫁に行かないでおれ。お召しになるぞ」と仰せられて、宮にお還りになりました。
そこでその赤猪子が天皇の仰せをお待ちして八十年經ました。

ここに赤猪子が思いますには、
「仰せ言を仰ぎ待つていた間に多くの年月を經て容貌もやせ衰えたから、もはや恃むところがありません。
しかし待つておりました心を顯しませんでは心憂くていられない」と思つて、
澤山の獻上物を持たせて參り出て獻りました。

しかるに天皇は先に仰せになつたことをとくにお忘れになつて、その赤猪子に仰せられますには、
「お前は何處のお婆さんか。どういうわけで出て參つたか」とお尋ねになりましたから、
赤猪子が申しますには
「昔、何年何月に天皇の仰せを被つて、今日まで御命令をお待ちして、八十年を經ました。
今、もう衰えて更に恃むところがございません。
しかしわたくしの志を顯し申し上げようとして參り出たのでございます」と申しました。

そこで天皇が非常にお驚きになつて、
「わたしはとくに先の事を忘れてしまつた。
それだのにお前が志を變えずに命令を待つて、むだに盛んな年を過したことは氣の毒だ」と仰せられて、
お召しになりたくはお思いになりましたけれども、非常に年寄つているのをおくやみになつて、
お召しになり得ずに歌をくださいました。

●吉野の宮
天皇が吉野の宮においでになりました時に、吉野川のほとりに美しい孃子がおりました。
そこでこの孃子を召して宮にお還りになりました。
後に更に吉野においでになりました時に、その孃子に遇いました處にお留まりになつて、
其處にお椅子を立てて、そのお椅子においでになつて琴をお彈きになり、
その孃子に舞まわしめられました。

●葛城山
天皇が葛城山の上にお登りになりました。
ところが大きい猪が出ました。
天皇が鏑矢かぶらやをもつてその猪をお射になります時に、猪が怒つて大きな口をあけて寄つて來ます。
天皇は、そのくいつきそうなのを畏れて、ハンの木の上にお登りになりました。

また或る時、天皇が葛城山に登つておいでになる時に、
百官の人々は悉く紅い紐をつけた青摺あおずりの衣を給わつて著ておりました。

その時に向うの山の尾根づたいに登る人があります。

ちようど天皇の御行列のようであり、その裝束の樣もまた人たちもよく似てわけられません。

そこで天皇が御覽遊ばされてお尋ねになるには、「この日本の國に、わたしを除いては君主はないのであるが、
かような形で行くのは誰であるか」と問わしめられましたから、
答え申す状もまた天皇の仰せの通りでありました。

そこで天皇が非常にお怒りになつて弓に矢を番つがえ、
百官の人々も悉く矢を番えましたから、
向うの人たちも皆矢を番えました。

そこで天皇がまたお尋ねになるには、
「それなら名を名のれ。おのおの名を名のつて矢を放とう」と仰せられました。

そこでお答え申しますには、「わたしは先に問われたから先に名のりをしよう。
わたしは惡い事も一言、よい事も一言、言い分ける神である葛城の一言主ひとことぬしの大神だ」
と仰せられました。

そこで天皇が畏かしこまつて仰せられますには、
「畏れ多い事です。わが大神よ。かように現實の形をお持ちになろうとは思いませんでした」
と申されて、
御大刀また弓矢を始めて、百官の人どもの著ております衣服を脱がしめて、拜んで獻りました。

そこでその一言主の大神も手を打つてその贈物を受けられました。
かくて天皇のお還りになる時に、その大神は山の末に集まつて、
長谷はつせの山口までお送り申し上げました。

この一言主の大神はその時に御出現になつたのです。

●春日のヲド姫と三重の采女
また天皇、丸邇わにのサツキの臣の女のヲド姫と結婚をしに春日においでになりました時に、
その孃子が道で逢つて、おでましを見て岡邊に逃げ隱れました。

また天皇が長谷の槻の大樹の下においでになつて御酒宴を遊ばされました時に、
伊勢の國の三重から出た采女うねめが酒盃さかずきを捧げて獻りました。

然るにその槻の大樹の葉が落ちて酒盃に浮びました。
采女は落葉が酒盃に浮んだのを知らないで大御酒おおみきを獻りましたところ、
天皇はその酒盃に浮んでいる葉を御覽になつて、
その采女を打ち伏せ御刀をその頸に刺し當ててお斬り遊ばそうとする時に、
その采女が天皇に申し上げますには
「わたくしをお殺しなさいますな。申すべき事がございます」

天皇は御年百二十四歳、己巳つちのとみの年の八月九日にお隱れになりました。御陵は河内の多治比たじひの高※(「顫のへん+鳥」)たかわしにあります。

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