古事記 青空文庫で読む 下の巻vol.7 武烈天皇以後九代【25~33代天皇】(頭の整理用)

以下参考

https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/card51732.html

●武烈天皇
ヲハツセノワカサザキの命(武烈天皇)、
大和の長谷はつせの列木なみきの宮においでになつて、八年天下をお治めなさいました。

この天皇は御子がおいでになりません。
そこで御子の代りとして小長谷部おはつせべをお定めになりました。
御陵は片岡の石坏いわつきの岡にあります。

天皇がお隱れになつて、天下を治むべき王子がありませんので、
ホムダの天皇の五世の孫、ヲホドの命を近江の國から上らしめて、
タシラガの命と結婚をおさせ申して、天下をお授け申しました。

●繼體天皇
ホムダの王の五世の孫のヲホドの命(繼體天皇)、
大和の磐余いわれの玉穗の宮においでになつて、天下をお治めなさいました。

この天皇、三尾みおの君等の祖先のワカ姫と結婚してお生みになつた御子は、
大郎子・
イヅモの郎女のお二方ふたかたです。

また尾張の連等の祖先のオホシの連の妹のメコの郎女と結婚してお生みになつた御子は
ヒロクニオシタケカナヒの命・
タケヲヒロクニオシタテの命のお二方です。

またオホケの天皇の御子のタシラガの命を皇后としてお生みになつた御子は
アメクニオシハルキヒロニハの命お一方です。

またオキナガノマテの王の女のヲクミの郎女と結婚してお生みになつた御子は、
ササゲの郎女お一方です。

またサカタノオホマタの女のクロ姫と結婚してお生みになつた御子は、
カムザキの郎女・
ウマラタの郎女・
シラサカノイクメコの郎女、
ヲノの郎女またの名はナガメ姫のお四方です。

また三尾の君カタブの妹のヤマト姫と結婚してお生みになつた御子は
大郎女・
マロタカの王・
ミミの王・
アカ姫の郎女のお四方です。

また阿部のハエ姫と結婚してお生みになつた御子は、
ワカヤの郎女・
ツブラの郎女・
アヅの王のお三方です。

この天皇の御子たちは合わせて十九王おいでになりました。
男王七人女王十二人です。

この中にアメクニオシハルキヒロニハの命は天下をお治めなさいました。

次にヒロクニオシタケカナヒの命も天下をお治めなさいました。

次にタケヲヒロクニオシタテの命も天下をお治めなさいました。

次にササゲの王は伊勢の神宮をお祭りなさいました。

この御世に筑紫の君石井が皇命に從したがわないで、無禮な事が多くありました。

そこで物部もののべの荒甲あらかいの大連、大伴おおともの金村かなむらの連の兩名を遣わして、石井を殺させました。

天皇は御年四十三歳、丁未ひのとひつじの年の四月九日にお隱れになりました。
御陵は三島の藍あいの陵みささぎです。

●安閑天皇
御子のヒロクニオシタケカナヒの王(安閑天皇)、大和の勾まがりの金箸かなはしの宮においでになつて、天下をお治めなさいました。

この天皇は御子がございませんでした。乙卯きのとうの年の三月十三日にお隱れになりました。
御陵は河内の古市の高屋の村にあります。

●宣化天皇
弟のタケヲヒロクニオシタテの命(宣化天皇)、
大和の檜隈ひのくまの廬入野いおりのの宮においでになつて、天下をお治めなさいました。

天皇はオケの天皇の御子のタチバナのナカツヒメの命と結婚してお生みになつた御子は、
石姫いしひめの命・
小石こいし姫の命・
クラノワカエの王です。

また川内かわちのワクゴ姫と結婚してお生みになつた御子は
ホノホの王・
ヱハの王で、

この天皇の御子たちは合わせて五王、男王三人、女王二人です。

そのホノホの王は志比陀の君の祖先、ヱハの王は韋那いなの君・多治比の君の祖先です。

●欽明天皇
弟のアメクニオシハルキヒロニハの天皇(欽明天皇)、
大和の師木島しきしまの大宮においでになつて、天下をお治めなさいました。

この天皇、ヒノクマの天皇の御子、石姫いしひめの命と結婚してお生みになつた御子は、
ヤタの王・
ヌナクラフトタマシキの命・
カサヌヒの王のお三方です。

またその妹の小石こいし姫の命と結婚してお生みになつた御子は、
カミの王お一方、

また春日のヒノツマの女のヌカコの郎女と結婚してお生みになつた御子は、
春日の山田の郎女・
マロコの王・
ソガノクラの王のお三方です。

またソガのイナメの宿禰の大臣の女のキタシ姫と結婚してお生みになつた御子は
タチバナノトヨヒの命・
イハクマの王・
アトリの王・
トヨミケカシギヤ姫の命・
またマロコの王・
オホヤケの王・
イミガコの王・
ヤマシロの王・
オホトモの王・
サクラヰノユミハリの王・
マノの王・
タチバナノモトノワクゴの王・
ネドの王の十三方でした。

またキタシ姫の命の叔母のヲエ姫と結婚してお生みになつた御子は、
ウマキの王・
カヅラキの王・
ハシヒトノアナホベの王・
サキクサベノアナホベの王、
またの名はスメイロト・
ハツセベノワカサザキの命のお五方です。

すべてこの天皇の御子たち合わせて二十五王おいでになりました。

この中でヌナクラフトタマシキの命は天下をお治めなさいました。

次にタチバナノトヨヒの命・トヨミケカシギヤ姫の命・ハツセベノワカサザキの命も、みな天下をお治めなさいました。

すべて四王、天下をお治めなさいました。

●敏達天皇
御子のヌナクラフトタマシキの命(敏達天皇)、
大和の他田おさだの宮においでになつて、十四年天下をお治めなさいました。

この天皇は庶妹トヨミケカシギヤ姫の命と結婚してお生みになつた御子は
シヅカヒの王、またの名はカヒダコの王・
タケダの王、またの名はヲカヒの王・
ヲハリダの王・
カヅラキの王・
ウモリの王・
ヲハリの王・
タメの王・
サクラヰノユミハリの王のお八方です。

また伊勢のオホカの首おびとの女のヲクマコの郎女と結婚してお生みになつた御子は
フト姫の命・
タカラの王、またの名はヌカデ姫の王のお二方です。

またオキナガノマテの王の女のヒロ姫の命と結婚してお生みになつた御子は
オサカノヒコヒトの太子、またの名はマロコの王・
サカノボリの王・
ウヂの王のお三方です。

また春日のナカツワクゴの王の女のオミナコの郎女と結婚してお生みになつた御子は
ナニハの王・
クハタの王・
カスガの王・
オホマタの王のお四方です。

この天皇の御子たち合わせて十七王おいでになつた中に、
ヒコヒトの太子は庶妹タムラの王、またの名はヌカデ姫の命と結婚してお生みになつた御子が、
岡本の宮においでになつて天下をお治めなさいました天皇(舒明天皇)・
ナカツ王・
タラの王のお三方です。

またアヤの王の妹のオホマタの王と結婚してお生みになつた御子は、
チヌの王、
クハタの女王お二方です。

また庶妹ユミハリの王と結婚してお生みになつた御子は
ヤマシロの王・
カサヌヒの王のお二方です。
合わせて七王です。

天皇は甲辰きのえたつの年の四月六日にお隱れになりました。
御陵は河内かわちの科長しながにあります。

●用明天皇
弟のタチバナノトヨヒの命(用明天皇)、
大和の池の邊の宮においでになつて、三年天下をお治めなさいました。

この天皇は蘇我そがの稻目いなめの大臣の女のオホギタシ姫と結婚してお生みになつた御子は
タメの王お一方です。

庶妹ハシヒトノアナホベの王と結婚してお生みになつた御子は
上の宮のウマヤドノトヨトミミの命・
クメの王・
ヱクリの王・
ウマラタの王お四方です。

また當麻たぎまの倉の首ヒロの女のイヒの子と結婚してお生みになつた御子は
タギマの王、
スガシロコの郎女のお二方です。

この天皇は丁未ひのとひつじの年の四月十五日にお隱れなさいました。
御陵は初めは磐余いわれの掖上わきがみにありましたが後に科長しながの中の陵にお遷うつし申し上げました。

●崇峻天皇
弟のハツセベノワカサザキの天皇(崇峻天皇)、
大和の倉椅くらはしの柴垣の宮においでになつて、四年天下をお治めなさいました。

壬子みずのえねの年の十一月十三日にお隱れなさいました。
御陵は倉椅の岡の上にあります。

●推古天皇
妹のトヨミケカシギヤ姫の命(推古天皇)、
大和の小治田の宮においでになつて、三十七年天下をお治めなさいました。

戊子つちのえねの年の三月十五日癸丑みずのとうしの日にお隱れなさいました。
御陵は初めは大野の岡の上にありましたが、後に科長の大陵にお遷し申し上げました。


底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※頁数を引用している箇所には標題を注記しました。
※底本は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。
※表題は底本では、「(現代語譯) 古事記」となっています。
入力:川山隆
校正:しだひろし
2011年8月30日作成
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